メルテブルク

殺傷ブルース、オーデンセの鳥

音楽業界のトレンドは死んでいる。腐っちまえばいいよ。

無い

無いしか無いのだからしかたがない。もはや人間ではない。

2016年も所詮

吐瀉物みたいなラブソングが溢れていやがる。

人殺しの街 序章

いじめを無くそうとして、団結を約束しても、スローガンを掲げても、独自のマナーを決めても、いじめ0宣言を採択しても、思いやりの心を育む活動を行っても、いじめは無くならないんですよ。
誰もそれに気付かないんですよ。

ほらまた一人また一人また......

続く

死ぬわけじゃないさ

このまま眠れなくてもいいような気になるよ
どうにか明日は続いていくの
死ぬわけじゃないさ 変わらない

少し神経質になったよ 戻れるの
恐れているのは何の為なの
この痛みを誰も分かってくれなかったら

戻り方を忘れて 思い知らされて
ひび割れそうならば 振り返らぬまま

ボロボロ砕けた欠片を見せて
いつまでも全てを語り合えそうな形
ここでしか聴けない歌がある

どこで生きても 置いていかれそうだけれど
その度にひとまず 移ろいたい きみと

取り戻さなくていいと思える 優しげな
終わりたくない出遅れの時を
それだけを祈り 投げかける

このまま起きられなくていいような気になるよ
どうにか明日は続いていくの
死ぬわけじゃないさ 変わらない そんなには

栄光の雨よ降れ

なんか急に気力が湧いてきたぞ。だから何か書くぞ。生きる理由について書くぞ。起きてからさっきまで「ああ、この先の人生真っ暗だ」って気持ちが萎え切っていたのになんだこれは。「おれは無敵だ」って脳内で言った。そしてすぐにこの言葉を反芻した。「あれ、これって危険ドラッグ依存症患者が言う台詞じゃん」って思った。でもぼくは、ドラッグなんかやっていません。至って健全だ。
そういえば、何かをやろうとすると生き続けられそうな気がする。その燃料はいつまで持続するかわからないが、失いたくないと思える重要さを感じる。これしかないというように。
昨日うpした曲だってそういう曲だ。音楽は自分のものにできる。音符になれない歌なんて存在しない。

とまあそんなことを勢いで書いてみましたが、「生きる理由の話はまだか」という声が聞こえてくるようです。書きます。

生きるのをやめたいと思ったとき、ぼくは生きる理由を考えることがある。
小説家の田中慎弥氏は、「死ぬと、私に死ねと言ってくる匿名の奴らの言う通りになってしまい、それは厭だから生きる」(大意)と言っていた。なるほど、自分のために生きていない。
では、ぼくは何故生きるのか。何故だ。考えても思い浮かばない。誰かに「ああ、自分より底辺に生きる人間が存在するんだ」って思ってもらうことか? でも、そんな他者が存在するとは限らない。ああ、自分のために生きられない、生きる理由が無い。
そのとき、人は完全な孤独に陥る。でも、そう簡単には死なない。生きる理由を失ったのに死なない…… そんなときにぼくはロックンロールを掴み取った。田中氏は文学を掴み取った。そうか、これが新たな生きる理由か。小説家の柳美里氏は、この状態を「死んだように生きる」と表現した。

生きているのだ。死んだようでも生きていることができるのだ。いまぼくは。

ああ、燃料が切れそうだ、栄光の雨よ降れ。降らないならいつでも降らせてやる。

少年ペンシルロック

もう許されないのか
未来を決められたような落ち込み方をして
死にたいんだよ

溜息は曇に昇り
針にもなれない針には
通り越された雨
鉄は錆びた

殺してくれ 殺してくれ 殺してくれ 世界よ
嗤われるような奴じゃないのに ぼくは

どんな雨に選ばれるの
甘えていたりはしたくない
どこにも居られずに
死にたいんだよ

くだらなくてもいい
恥を受け止めてやるよって
最底辺からきみに嘘みたいな話をしたいのに

殺してくれ 殺してくれ 殺してくれ 世界よ
殺されるような奴じゃないのに ぼくは

殺してくれ 殺してくれ 殺してくれ 世界よ
嗤われるような奴じゃないのに ぼくは

殺してくれ 殺してくれ 殺してくれ 世界よ
殺されるような奴じゃないのに ぼくは

殺されるような奴じゃないのに ぼくは


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