密度

人生が薄っぺらすぎて泣けてくる。文明すら変わってしまうほどの、気の遠くなるほどの長い年月を寝て過ごしたのだ。ブラウン管で人生止まっているようなレベルだ。
このまま5年10年20年とずるずる続いていくのか?? 20年??
はじまりが1995年だとすると、地下鉄サリン事件あり、ブルーハーツ解散あり、で、その3年後に日本ワールドカップ初出場フランス大会、4年後日韓、4年後ドイツ、4年後南アフリカ、4年後ブラジル、で2015年。
なるほど、ワールドカップ5回分人生遅れるのか。この時代に、鳴らなくなった、まだ古くないポケベルを枕元に置いているのか。こわくなってきた。残酷ドキュメンタリーだ。
20年。40歳。(自分にとっては)オワコン、消化試合。長すぎるが寝ていたらあっという間だ。文明が5回くらい(知らんけど)変わるほど濃密な年月だ。気が遠くなって追いつけないくらいだ。それを寝て過ごすのか。恐ろしい。けどこのままだとそうなってしまうよ。。。。。。。。。。
この人生に意味がほしいんだなと思う。このまま死んだらもう本当にこの人生何だったんだってなって何か自爆テロ的な行為をやらかすから。こわ。密度が濃いほど意味はついてくると思う。

school kill of lock

ロックロックいっているやつらがきらいだよ!!!しねよ!!!ごめんね!しね!school kill of lock!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

体は心の犠牲、心は体の犠牲

切れ味良い言葉のナイフ。
今日も磨きが掛かった。
心の殺傷能力高いぜ。
でも、何度突き刺しても心は死なないぜ。
なぜなら体が死なないからな。
本当は心は死んでいるのかもしれない。
でも心は、死んだまま生かされ続ける。
なぜなら、心の生は体の生だからさ。
体が生きているからな。

生きてもいいと思うとき、体は心の犠牲。心が体に合わせなきゃ。
体は心にこういうよ、「あなたのせいで生き辛いよ。毎秒死にたいよ。あなたがしっかりしてくれないから。死にたいけど死ねないよ。わたしは生命を持ってしまった以上、心に頼るしかないの。だって簡単に死ねないから」
心は体に謝るよ、「ごめんね、死にたくさせちゃって。あなたは生きるためのものであるはずなのに…… ごめんね、大多数の人間の心がそうであるように、猿のそれのような何も考えない風景みたいな心になれなくて。心が悪いんだよね。ごめんね、あなたが生きることに耐えられる心になれなくて。ごめんなさい」

自分が死んでいいと思うとき、心は体の犠牲。体が心に合わせなきゃ。
心は体にこういうよ、「あなたが死ねば終わるんだよ、わたしを持ってしまったあなたは、人間(生物)に向いていないんだ。だから、勇気を振り絞って自殺に踏み込んでくれよ。親を悲しませるのが怖いのか? 親に『あなたが死んだらノイローゼになる』っていわれているのか。だったら、安楽死が合法化されれば楽だよね。要は殺処分さ。人間殺処分。それなら親も納得してくれるでしょう。いや、それでも悲しいか。まあ、自殺よりは受け入れてくれるでしょう…… うまれる選択はできなかったんだから、死ぬ選択くらいさせろよなぁ……」
体は心に謝るよ、「死ななくてごめんね。わたしもあなたの意見に賛成。あなたを一刻も早く楽にさせたいと思っているよ…… それまでは生きのばし……」

どちらも中途半端だ。
心に何の非があったというのだろう。
諸悪の根源は、人間が生命(体)を持ってしまったことだ。そもそも人間に生命は向いていない。人間が誰しも、心が死なない猿とか蟻のようになれれば話は別だけど。人間はそういうわけにはいかないから。心が殺傷されたら終わりの始まりだ。

世界は悲しみでできている、誰かが生きていけないほど。

空白

人生が16歳で止まっているから、Twitterとかでその昔知り合いだった奴の垢を探し出してそいつの頭髪が金色になっている模様を確認したりすると、ああもう自分はそんな年かよって思う。それはそうだ。大人になる準備期間をひきこもり通したのだから。空白の4年間だった。もうすぐぼくは数字だけが大人になる。知らねえよだれが決めたんだよって思う。
4年後なんてすぐなんだろうな。24か。全盛期はいつだ? いつ爆発させるんだ?
この空白の先には何が待っているのだろうか。死か? 死だとしたら、それはいつだろうか。空白のぶんだけ死ぬときの痛みも大きいだろう、はやく断ち切ってしまいたい。

リベルタノンリベルタ

ルーマニア国歌『目覚めよ、ルーマニア人!』を聴いていて、『君が代』みたいな曲が国歌なあたり日本だなあ、っておもったよ。

『目覚めよ、ルーマニア人!』は自由の獲得への強い意志と愛国心がうたわれていた。
ルーマニアの歴史は知らないが、自由の獲得への強い意志は万国共通だろう。自分はルーマニア国歌のそれに共鳴した。
「皆が叫ぶ「自由に生きるか、または死か」と」という一節があるのだが、特に自分が最近考えていたことと完全に一致した。

そこで考えた。日本の国歌がルーマニア国歌のような曲だったらどうだろう。。
国歌斉唱ってあるやん。もし学校の入学式、卒業式等の式典のそれで、珍しくスーツを着た鉄拳制裁暴君が歌っている!!
そいつもそれを聴いて歌って育って、暴君になった今尚当たり前のように歌い続けているという事実にぼくは笑いを堪えきれないだろう。
何しろ「自由でない世界は生きるに値しない」と歌っているのだから!!!!れ!!れ

ある程度の自由が与えられていたら潰されなかった。潰されたいま、まあこれは暴力的な話だけど、「君が代」的な美しさに潰されたと知った。
だから今更自由をとりもどそうとかいっても、もう遅いんですよ自分には。何があるかというと、憎悪だ。
変な話だけど、ルーマニア人って子供が自由を保てるシステム整っているんじゃないの? ルーマニア国民全体が国歌の言葉通り動いたら(〝目覚めた〟ら)。まあ有り得ないけど。
自由とかいうの本当やめなきゃなのかもね。いや、でもたまにそれが必要な情緒もあるかもしれぬから捨てないでおくけども。憎悪とそれの間を揺れ動いている。リベルタリベルタって叫びたいときもあれば死ねって思うこともあり。