生き辛い人たちへ

いつの時代からか若い人たちに、「自分はおかしい。」という心胸を自分に対して持つ人が増えてきているように思われます。またこの現象は、若い人のネット上での発言からも、それが必ずしも本心であるかは定かではありませんが確認できます。しかしこの人たちはおおかた、日常生活に大きな支障をきたすことは無く、適応しているのです。
そしてこの人たちはしばしば、「メンヘラ」に代表されるように、わたしは中二病だエキセントリックだサイコパスだ…と自分をいささか病的心理をあらわすような名で名付け、自己診断をしようとするのですが、それは、生活するうえで問題が無い限り病気である可能性は低く、したがって意味の無い行為なのであります。
いやはや、「メンヘラ」など死語化待ったなしではないでしょうか。

それではなぜこの人たちは「自分はおかしい」と思ってしまうのでしょうか。それは安直な議論では判らないけれど(むろん無責任になる議論は意味が無い)、ここで思うのは、この人たちは生き辛さを感じているということです。だから、「自分はおかしい」と思ってしまうということは問題ではあるけれど、個人の生き辛さを解消するということに焦点を定めて考えていくことにこそ生産性のある言論が生まれるのではないでしょうか。

さて、生き辛さを感じる原因は様々ですが、この人たちの多くは孤独なのです。それは、「自分はおかしい」と思ってしまう個々の原因と深く関係します。その原因が生き辛く、孤独にさせているのだといえます。
しかしだからといって、その原因を取り除くことは安易にできることではありません。*1

僕は、その生き辛さの原因には様々な感情が混在していると思いますが、その中でも、怒りや憎しみ・憎悪といった感情が多くを占めていると思います。
その怒りや憎しみはときに、芸術作品の傑作といわれるものを生み出します。それらはとてもリリカルで、強く孤独に帰依し、疑いの余地の無いもののように感じられます。その作品たちは、詩や音楽、文学、美術、哲学など様々であり、個々の感情に相応した仕方で表現されます。

生き辛さは芸術的な表現と強く結びつくのです。
生き辛さを引き起こす怒りや憎しみといった感情を、孤独を、芸術的な表現に落とし込むというこの作業の動機は必然的で、いずれもその原初的な感情に触れた時に、半ば突発的にはじめられます。こうして完成された作品たちは、熟考を重ねられたものや初期衝動満ち溢れたものなど様々ですが、そのいずれもの作品には疑いの余地がありません。
僕は生き辛さを感じている人たちに、この作業をするということを肯定的に捉えられ、そして果敢に、積極的に行われるべきであると思っています。またその動機は、自分にとって必然的たるべきであるのです。僕は、このような動機を経た作品こそしか傑作を生み出し得ないと信じる価値観だけを信じます。
そして、こうした作業をすることによって生き辛さが解消されるのだと思います。

しかしここで、このような作品の作者は孤独であるということは解消されないのではないかと思われるかもしれませんが、それは色眼鏡がかった考えです。孤独であるということは解消されているのです。
このような作品を生み出した作者は、自分にとって生き辛いネットワークやコミュニティ、いうなれば嘘の共同体に身を置く(嵌る)という心配が無くなるのです。それは、自分に道義性が備わり、謙虚になり、馴れ合いをすることの無い、嘘の共同体世界に牛耳られない、純然たる個人世界を構築するということであり、決して孤独であるということではないのです。
またこのとき、自分の中に在る怒りや憎しみの対象へのルサンチマンなどの嘘偽りの価値観(自分にとって都合の良い解釈)や、さらには自己嫌悪や他者との関わりを避けんとするひきこもり的精神は真っ新に消えるでしょう。
またこれは、今年多くの日本人が啓発された『嫌われる勇気』を持つことではありません。このような作者たちは、そもそも嫌われることを恐れるべきことだとは思わなくなるからです。であるからして、恐れることが無くなるのです。

僕自身は、かつて長期的に無駄なストレスを感じてきたことがあり、日を増すごとに鳩尾にライナー性の5号球を至近距離でくらうような精神的苦痛を覚えるようになり、それによる怒りや憎しみ・憎悪から感じる「自分はおかしい」という心胸とともに孤独や生き辛さ、死にたさを感じるようになりました。
しかし、いやだからこそ芸術的な作品として怒りや憎しみを表現された作品を知り、シンパシーを感じ、そこで得たものを書いて汲み尽くそうと思うようになりました。そしてその動機こそ必然的でした。今回はその足掛かりのような、以降の展開のための問題提起レベルの議論は完遂できたように思います。

いやしかし、懐疑的な議論にならないようにするのはどれだけ難しいことなのでしょうか… 僕はこのことに関しては恐れてしまいますね。

最後に。以下2作品は両方とも音楽ですが、僕が傾聴した曲たちの一部です。

スピード PV 神聖かまってちゃん - YouTube


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*1:この場合、宗教が役割を果たすことができるといってみれば理にかなった見解になるとは思いますが、僕は宗教に関して確信的な理解を得ていないのでここでは避けています。しかし宗教に関する確信的な理解を得ないことにはこの議論を向上させることはできないでしょう。