反吐

遠くから近くから射殺したい

クズ共のために

ぼくが生きる意味は無いです。死なない意味はあります。しかしそれは生きる意味ではありません。矛盾していますよね。言葉でいったらこんなものです。「矛盾」という言葉はとても便利だなと思いました。一方、無慈悲にも、とても正直だなと思いました。

ぼくは、人が生きる意味がわかりません。その問い自体が意味のないものなのであるのかもしれません。けれども、考えることはやめません。

そもそも世界は言葉で出来ている。
主観的に意識をすると、世界のわかること以内のことが完全にわからなくなるのだが、このわからないことが目の前に蔓延る構造を打破しようと努力することこそが、私たちが考えるという意識なのではないか。
数字とは違って、言葉の記号には規則や意味が無い(またはわからない)から、世界の答えを知るにも、算数のように規則を組み立てることはできない。だから、そもそも答えは無いのだとしても、考え続けなければならない。

大体生きている人間がすることなんて、地球に働きかけることぐらいですよ。飯食ってゴミ出したり、インターネットをしてサーバー重くして地球環境に影響与えたり、地球環境を良くするために動いたり。それくらいです。でも地球には人がいる。だから人に働きかけます。人の心が良くなるために考えるだけです。目的は、偽善者にならない心を持つためです。
もしそれについて世界のすべてのレベルで疑いの議論が行われたとしても、偽善者とは言われないようにするために。
そしてその人こそ、「俺は悪くない」と言って正しいのです。

最後に。人に、「普通の人」はいません。「普通の人」のイメージを捨ててください。ただ、人はクズであるということは確かです。

この記事について少し補足しました。→「矛盾」について(補足)