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破壊活動家

外を歩くときは

石岡駅で、俯きながら歩いていたら、名前を囁かれ、複数でぼくを冷やかすような笑い声が聞こえた。いや、正確にいえば、「聞こえた気がした」。あれは幻聴だったのだろうか?下を向いていたのだから、誰だったのかさえわからない。第三者もいないから、真実を知る由も無い。
振り返らず足早に通り過ぎた。

もしあの瞬間に顔を上げていれば、一方で実際にあの声が在ったのならば、それは虐めである。ぼくは虐めに遭ったことがあるから知っているが、その際の心理状態の不安定さといったら、街中で刃物を振り回す犯罪者のそれ同然である。けれどもぼくは、このような心理状態に陥った際には、その場で行動によって反抗心をあらわにしないことが賢いということを覚えた。それは当然かと思われるかもしれないが、実際は感情をコントロールすることは難しいのだ。抑制はするが抑圧はしないのだから。閑話休題
しかし、他方であれが幻聴であったのならば、その声を聞くことは無かったのかもしれない。
ぼくはあのとき、前方に待ち構える複数人と目を合わせたくなかった。だから、俯いて歩く不審者であるぼくは、「冷やかされるかもしれない」という予測をしていた。その結果それを、「心的現実」として経験した。つまり、ぼくはあのときに顔を上げていれば、「冷やかされるかもしれない」という予測をしたとしても、「心的現実」として経験することは無かったのだ、と考えられるのだ。

心的現実はトラウマと結び付き得るのだが、ぼくの今回の件は、自己分析した結果、「顔を上げて歩いていれば、心的現実として経験することを防ぐことができた」という結論に至った。だから、外を歩くときはできるだけ顔を上げよう、と主張する。

ぼくは今回の結論を、もし読者が今回のぼくのようなケースを経験してしまった際の、考え方の予防線として理解していただけたら嬉しいです。その経験によってトラウマになってしまったら大変なのでね。ともあれ、今回の主張は心に留めておいて頂いて損は無いと思います。