メルテブルク

殺傷ブルース、オーデンセの鳥

『チェルノブイリ』

THE BLUE HEARTSの曲『チェルノブイリ』は、後世に伝えていくべきだ

何故なら、これはぼくの解釈だが、この曲はチェルノブイリ原子力発電所事故のある問題解決のための、重要な示唆がうたわれているからだ。
その細かな内容の説明は省くが、その歌詞からは確かに、皮肉ともとれる表現を交えながらも、紛れもなく、見落としてはならない真実が認められるのだ。

そして、目的とすべきは、言論人や政治家による議論への応用である。何故かと問うに、それは「法」に関わっているからである。つまりぼくは、ぼくの主張で世界が動けばよいという理想を持っているのだ。しかしこういった理想は人間誰しもが持ち得るものなのだから、嘲笑しないでくれ。閑話休題
ぼくは、その議論の際、登壇者はこの曲のメッセージに対する解釈を持つべきである、と主張する。その実現のためには、登壇する言論人や政治家、言うなれば世間全般で、「登壇者は『チェルノブイリ』のメッセージに対する解釈を持つべきである」という主張が、ハイコンテクストとして理解されていなければならない。
しかし、これはぼくの理想だから、実現不可能である。つまり、ぼくは世界を動かすことはできないのだ。
この、理想と実現可能性に関する、これを発展させたこれ以上の話は後でできたらしたい。

ともあれ、読者には、今回のぼくの理想の主張を、理想の中で良いから賛同して頂きたいのだ。何故かと問うに、それは読者ひとりひとりの考えに委ねたい。
そして最後に繰り返すが、THE BLUE HEARTSの『チェルノブイリ』は、後世に伝えていくべきである。これこそは現実の主張だ。ぼくたちの理想は叶わなくとも、真実を伝えていくことは、これはこれでとても重要なのだ。
方法はいくらでもある。販売を自主規制されても。