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精神的に不安定な人のために〜社会的自立、経済的自立のために〜

今日は病院に行き、過敏性腸症候群であると名指され(診断され)ました。
過敏性腸症候群を疑い出したのは2年前、中学卒業直後のことでした。しかしそのときは、どうせ大したこと無いだろうと思い病院に行かなかったのですが、今振り返ると、その頃から確実に過敏性腸症候群を患っていたのです。
そして1年の2学期に入った途端、症候が悪化し、学校に通うことが困難になり、高校は呆気なく中退しました。両親に迷惑をかけてしまったと自分を責めました。そうなった原因があるだろうと周りや過去のことを責めました。全日制の高校に行くべきじゃなかったことに気付けなかったことを悔やみました。自分は死ぬべきだとさえ思いました。しかし最近は死んではいけないと強く思うようになりました。そんなわけでぼくは、精神的にも人格的にも、良くも悪くも大きく変わってしまいました。
今日は病院で以上のことを医者様に話しました。そして、過敏性腸症候群の治療薬と、他に抗不安薬を頂きました。「抗不安薬過敏性腸症候群と関係ねえだろ」と思われるかもしれませんが、ぼくは社会的自立や経済的自立をしなくてはならないのであって、そのためにはその抗不安薬が必要だと判断したので、頂くことにしたのです。
精神医学、精神分析的には、リベラリズムの時代の原理においては、ノーマライゼーションによって外部(精神病者(外生的な存在))を名付け、取り込む(包摂)ことが目指されています。しかしこれには様々な問題があります。例えば、その「名付けられた外部を包摂する力学」が暴力的であったり、教育的な観点でみるとある種の危険を孕んでいる、などと言われていたりしているのです。他には、フロイトドゥルーズガタリは、人間誰しもが神経症であり、精神病や分裂病であるという主張を提出しており、それらの問題を考えた場合、特に病名を名付けることに関しては、議論が必要になります。
とにかく、以上のこともあるので、精神的に不安定だという人は、ぼくは病院で診てもらうべきだとは思いますが、「精神科の薬」や病名にとらわれ過ぎては危険でしょうね。ぼくが一番言いたいことは、社会的自立や経済的自立という親孝行ができるようにするための最善の方法を探ることが最重要だ、ということです。