反吐

遠くから近くから射殺したい

「叫び」について

きみは、苦痛で、あの日も、この日も叫んでいたね。もし叫んでいなかったら、危ないことをしていたかもしれないよね。そう、きみは、救いのために叫んでいた。
「おまえのいっつもそうやってギャーギャー騒いでる声は近所中に聞こえてて、ウチは○○丁目の笑い者なんだから(怒)」 なんて、きみの親は冗談めかしているんだけど、きみは確かに怒られたんだよね。
そしてきみは最終的にはこう言われたんだよね、「我が家の恥さらしだ」って、呆れられながら(だって、「いっつも」のことなのだから)。そして、きみの親は、きみが苦痛の限界の寸前まで来ているということを、少しも理解しようとしてくれなかった。
そしてきみは、部屋の壁を蹴ったり、自分の頭を殴ったりして落ち着こうとするんだけど、また直ぐに、家庭は、平穏な日常に戻っていったよね。なんだけれども、きみのフラストレーションは、晴らされていないんじゃないのかな?
家庭内で親にそんなことを言われたきみは、きみの「ギャーギャー騒いでる声」という「叫び」が、イソップ寓話『オオカミ少年』 の文脈における「嘘」ではない限り、「ふざけんなよ、ちゃんと話聞けよ」、って言い返してもっともだったんだよ。
きみの家庭環境は普通より悪くて、きみには辛いことやストレスが多くて、きみは叫ぶことで救われたかったし、自力で救いたかったんだよね。でも、それは「いっつも」のことだから、きみの親は、「バカな子供になっちゃったもんだな」とか、「また恥さらしだよ」ぐらいにしか、思ってくれない。だから、「いつものことだから」という理由で、「本当に助けてほしいときに、本当かどうかわからないから、助けてもらえなくなるよ」、なんて言ってくる。
なんて言ってこられても、きみの「叫び」には、「嘘」は無いのだ!きみは親に、救いの方法を、平穏な今、問いただすべきだよ。「私が叫んだときに笑い者にされたくないなら、ちゃんと私の話を聞いてくれよ」ってね。

「叫び」の意味は、種類(文脈)に依存しますね。快然たる、悦ばしさに満ちたもの、とか、悲痛な感情によるもの、シャウト......などというように。
みんなは家族が好きですか。そんなことを聞く以前に、人間は、他人の苦痛に対して憐れみを持つ生き物なのです。だから、「叫び」に関しては、その文脈がわからなくとも、その元に駆け付ける意識のアンテナが張り巡らされていることが必然であり、それは「苦痛の救い」に繋がるし、それこそもまた、「憐れみ」である、といえるのではないでしょうか。