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破壊活動家

『いじめ防止対策推進法』は欠点だらけ

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の回を資料として書いています。


いじめの問題は、まずぼくたちがどのような社会をつくるのかということが問題なんですよね。そこに、どうしてもうまくいかないことがあるときに、市民社会的な原理に基づいて、警察を呼ぶとか、色々対処する方法があるんだけれどもね、ぼくたちがどういう社会を営んでいると、つまりどういう集団を、あるいはどういうタイプの関係性を持っているといじめになりやすいのか、という、ぼくたちとして引き受ける要素が、いじめ防止対策推進基本法にはまったく無いんですよね。
第23条第6項は学校が主語になっていて、学校が認めたものだけが「いじめ」で、いじめの原因については「そんなものは知らない」と、どんな原因であれ、学校が認めたものだけが「いじめ」だみたいなね、本当に出鱈目なものです。
内藤朝雄さんの「いじめの生態学」っていうのが、ぼくたち自身がどういう風な関係性を持っているのかということがいじめの根本問題なんだよっていうことに気付かせる力があるのだけれども、そういう部分について本当にセンスが無い不思議な法律ですね。

時代錯誤の閉鎖性によっていじめが温存され、増殖され、対処ができなくなってしまうので、学校を聖域にしてはならず、教員を聖職としてはなりません。学校も市民社会なのだから、暴力行為があれば、生徒間であれ、教師生徒間であれ、警察を呼べることにすることが重要ですね。そもそも第一の問題、いじめは単なる「嫌がらせ」じゃだめなんですよ。心身の苦痛を感じさせることだったら、大人だって敢えて相手が嫌がる、つまり心理的苦痛を感じさせることをね、わかっていてそういう振舞いをすることはあるわけだから。
定義としてはね、「相手の尊厳を傷付けて、その結果、相手が通常の生活を送れなくさせてしまうことがいじめの本質」!その意味でいえば定義がまったく出鱈目なので、この法律案は全然練られていないよね。
ちょっとね、定義がお粗末すぎるんじゃないかなあ。文体も最悪でねえ。様々な気に食わないものが存在していて「苦痛」だということは、それはもう「生きている手応え」のようなもので、別に「苦痛」は良いわけですよね。やっぱりね、法律をつくるプロセスに市民がちゃんと入っていないっていうのは、どんなに恐ろしいことかっていうことがよくわかりますよね。あのやはり、ぼくが先ほど申し上げたようないじめの捉え方をしている、非常に洞察が深い人が法律の作成に入らないとねえ。

いじめられた側っていうのはね、もう生きる気力というかですね、何をして良いかがもうわからなくなっちゃうんですね。尊厳を著しく傷付ける(破壊する)ことによって人の自由を奪うっていうね、尊厳が奪われると、まあ、近代社会における人々に当たり前のように想定されていることが何もできなくなってしまうんですよね。逆にいえばね、そうならない限りはね、嫌がらせ、からかい、ちょっかい、出していいんです。そういった人間的洞察、ユーモアは欠いてはいけないですね。あのね、一時的な嫌がらせ、皮肉、からかい......にも苦痛を感じることはあるじゃないですか。これってきっといじめとはいわないし、それをいじめだっていうのは過剰反応なんですよ。

かなり特に日本の学校は閉鎖的な生活環境をつくっちゃっていますね。それを改善するという観点がまったく抜け落ちていますね。いじめが蔓延してエスカレートするような環境、つまり聖域として外部の市民社会から遮断されると、そこで過剰に密着した人間関係が強制され、同調圧力に支配される、と。それをもう少しましにするというような観点が、重要なポイントが空振りで抜けていますね。

第23条第6項の「いじめが犯罪行為として取り扱われるべきものであると認めるとき」という文章が非常に曲者で、これは、隠蔽したい学校に、「いや、これは教育的観点から取り扱うべきだとは思わない」と判断したら、犯罪かもしれないけれど、「教育」という風に扱った方が良いという風に逃げ道を与えられるんですね。つまり、この法律はいままでの隠蔽をバックアップする「いじめ隠蔽促進法」なわけですね。この「いじめが犯罪行為として取り扱われるべきものであると認めるとき」というのを削除して、もう犯罪行為があると認めたら、警察に適時、市民として判断して、個人個人が通報するということが求めらるべきですね。つまり学校の頭を飛び越えて、たとえ学校が「教育的観点から通報しないでくれ」と懇願しても、隠蔽したくても、被害者がササって通報するっていうのがまともな市民社会であって、で、それができないわけですね......

教員によるいじめという観点がまったく抜けていまして、教員が気に食わない生徒をいじめることはね、生徒同士のいじめに匹敵するぐらいあるんですね。教員によるいじめの体罰というのはまあ、児童生徒によって模倣されたりもします。
第6項では、「学校が」認知し、「学校が」通報し、「学校が」援助を求めなければならない、主語が「学校」で、それこそ市民社会でぼくたちが当然認められているべき市民としての権利を学校が侵害した場合、というケースをまったくネグレクトしているんですよね。

これもう可決しちゃったわけだけど、これによって、多少なりともいじめが減るとか、効果があるとかむしろ状況がかえって悪くなるってことが考えられるのかどうでしょう――悪くなるに決まってますよね。

法律って直せるの? ここ(NHKニュース2013年6月21日:『いじめ防止対策推進法成立で大津の生徒の父親会見』)で述べられたこと、訴えられたことは、この法律では解決できないことは確かだろうね......