戦争反対について

ぼくは一切の犠牲をなくすことを目標とすることが正義であると思っていた。けれども、とすると、正義は幻想になってしまうのではないか。
ぼくたちは無責任なスリルを求めるあまり、何かしらの犠牲を払っている。「無責任なスリル」というと聞こえは悪いが、それは「生きている実感」のようなものであり、完全に除去することはできないだろう。だからそれを悪とすることはできないし、肉食者を悪とするある菜食主義者のように一切の犠牲をなくすことを目標としていても、犠牲は不可避なものとしてあらわれる。つまり悪いことによる痛みをすべて知ることはできないから、善いことばかりの世界は幻想である。
しかしだからといってそれに絶望して、「善い、悪い」について考えることをやめてしまってはいけないと思っている。
「(戦争に)抗議しない人間は共謀者である!」と、ある外国の学者がいっていた。ぼくは戦争を物質主義的堕落とみなすから、戦争には反対である。しかしそんな論理はどうでもいいから、戦争に反対してみる。それだけで善いことをしているということになるのだと思う。そしてそれは正しく、強く、優しく、大切なことであると思っている。