誕生日

一年の節目の日というのは、振り返ったり、新たな目標を設定したりする良い機会だと思う。自分にとってのそれは、不登校になった日だ。高校一年だった3年前の二学期の始業式の翌日。その日から自分は、半分死んだ。観念的な話だが、そう思わざるを得ない。
今まで2014、15年と2回、その節目の日を経験している。いずれも、良かったとはいえない自己評価を下した。毎回毎回、今季こそはと意気込んでいたというのに……

さて、今季はどうだ。
自分は、人間恐怖症みたいな性癖がある。相手に飲み込まれたら自分ではなくなり、酷い嫌悪感を覚える。そして、もう闇から目を反らすことはできない。根源的なことを知ってしまうような目に遭ったから。それが闇だったから。だから、どうしても誤魔化せない。だから、社会と上手く調和することができない。
でも、こんなはずじゃなかった、このままでは死ねない、何者かになりたい…… そんな欲望を、かれこれ3年間抱き続けている。しかし、実現することはそう簡単ではないということは重々承知している。だから、必死でやるしかない。自分との闘いだ。常に戦闘状態でなければならない。そうして自分は、音楽や文学に傾倒した。
ただ、現実はどうだ。屑の極みだ。必死さの欠片も無い。想念は想念のままで、行動のエンジンにはならないようだ。いや、それはただ自分にやる気が無いだけなのだろう。孤立無援であることに耐え切れず線を引いてしまう。そして、ただのつまらない厭世家に成り下がる。このままだったら、もし自分が何者にもなれなくても、必死でやり続ければある程度は満足できるだろうが、それすらできないではないか。
生活も生活で、もう、それはそれは無様である。鬱と日々隣り合わせで、ときどき日常に嫌気が差す。毎日何かしらの不調を抱えている。友達が一人もいないという事実に発狂しそうになる。
それに、ただ好き勝手やればいいだけなのに、他人に呑み込まれたりもする。芸風とか道化とか本当の自分とか、そういうのは考えずに、ただただ好き勝手に、気の向くままにやればいいだけなのに……

ただ、希望の兆しが無いわけでもない。やっと曲が完成させられそうだからだ。欲望に能力と技術が追いつくまでに3年かかった。それに、なるべく楽しく生きられたらいいだろうとは思う。それに浸かることは無いだろうし。

今日は自分の誕生日だ。19歳になった。だが、何かの節目であるというわけではないというのは先述の通り。ただ数字が増えただけだ。ただ、今年の誕生日は何故か異様に危機感を持つ。