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栄光の雨よ降れ

なんか急に気力が湧いてきたぞ。だから何か書くぞ。生きる理由について書くぞ。起きてからさっきまで「ああ、この先の人生真っ暗だ」って気持ちが萎え切っていたのになんだこれは。「おれは無敵だ」って脳内で言った。そしてすぐにこの言葉を反芻した。「あれ、これって危険ドラッグ依存症患者が言う台詞じゃん」って思った。でもぼくは、ドラッグなんかやっていません。至って健全だ。
そういえば、何かをやろうとすると生き続けられそうな気がする。その燃料はいつまで持続するかわからないが、失いたくないと思える重要さを感じる。これしかないというように。
昨日うpした曲だってそういう曲だ。音楽は自分のものにできる。音符になれない歌なんて存在しない。

とまあそんなことを勢いで書いてみましたが、「生きる理由の話はまだか」という声が聞こえてくるようです。書きます。

生きるのをやめたいと思ったとき、ぼくは生きる理由を考えることがある。
小説家の田中慎弥氏は、「死ぬと、私に死ねと言ってくる匿名の奴らの言う通りになってしまい、それは厭だから生きる」(大意)と言っていた。なるほど、自分のために生きていない。
では、ぼくは何故生きるのか。何故だ。考えても思い浮かばない。誰かに「ああ、自分より底辺に生きる人間が存在するんだ」って思ってもらうことか? でも、そんな他者が存在するとは限らない。ああ、自分のために生きられない、生きる理由が無い。
そのとき、人は完全な孤独に陥る。でも、そう簡単には死なない。生きる理由を失ったのに死なない…… そんなときにぼくはロックンロールを掴み取った。田中氏は文学を掴み取った。そうか、これが新たな生きる理由か。小説家の柳美里氏は、この状態を「死んだように生きる」と表現した。

生きているのだ。死んだようでも生きていることができるのだ。いまぼくは。

ああ、燃料が切れそうだ、栄光の雨よ降れ。降らないならいつでも降らせてやる。