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存在

死のうとしたあの日から1週間以上経ちました。

死なないようにするようになりました。

家族以外の人間とのつながりも、それを打開する方法も無く、どうすることもできません。

できることといったら、中島卓偉を聴くことくらいです。

 

www.youtube.com

 

さっきまで、これを21回ほど聴いていました。 

『PUNK』も『HELLO MY FRIENDS』も『さらけだす』も最高だけれども、『存在』。

 

 

存在。

先月頃、古い学校のプリントの余白に、自分の魂は祀るほどのものでもないから、納める骨など1ミクロンも無い、というようなことを書いたのを思い出した。

自分は、良くも悪くも、世界に生かされる。それが、厳然たる事実として、巌のように横たわっている。

自分は存在している。

自分が死のうとしたのは、存在意義を無くしたからである。自分はそのとき、存在しながら存在しないという状態に陥った。

しかしそれでも、死ななかった。自分は生きることを選んだ。その理由ははっきりとはわからないし、いくら自問したところで答えには辿り着かないだろうけれども、そのとき自分は、確かに、存在意義を獲得したのだ。

自殺は世界に負けることではない。存在意義を無くしたまま、どうすることもできないかもしれない。けれども、自殺したい理由がふっと取り除かれたとき、そこに存在意義が生まれる。それが良いことなのか悪いことなのかはわからない。ただ、人は存在意義を獲得すれば、どんな状況でも生きようとすることができるという事実があり、それがすべてである。

 

そして、生き続けようとしている今、死なないようになった今、存在を続けようとしている今、中島卓偉の『存在』を聴いた。

いつ失うかわからない存在意義を抱えながら、聴いた。

かねてより聴いていた『存在』であったけれども、今回はより一層、卓偉さんの真意に隙間風のように鋭く吹く息遣いを感じとれたような気がした。

そしてなにより、この弾き語りバージョン。すべての良さが際立っていると思った。

 

サンキュー卓偉。

ネットでよく見るこれは、今の自分が使うには、あまりにもリスペクトを欠いている。

 

偉大な中島卓偉さんに感謝します。