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音楽とそれに関するその他諸々 まあ、結局は音楽

今は気分が良いとは言えないが、悪くはないから、音楽とそれに関するその他諸々について書いてみようと思う。思いつくままに。

 

ここのところ、気分の浮き沈みが激しい。次いつ沈むかは時間の問題である。浮き沈み。

の子さんはこのようなことを言っていた気がする、「神聖かまってちゃんは両極端である」と。両極端。それはの子さん自身の内部に存する躁鬱そのものだ。自分の浮き沈みが躁鬱と呼ばれるものなのかはわからないが、自分がこのところ感じているのは、他でもない「両極端」である。そこで腑に落ちた。

それによって、今の自分の状態を「そういうものなんだ」と納得することができた。安心感を得ることができた。

神聖かまってちゃんをよりふかく理解できた気がする。

 

2017年に入ってから、日本語で歌われる音楽を聞く頻度が低くなった。

「自分のために歌われた歌などない」とBUMP OF CHICKENが歌ったのは10年前のことか。

それを初めて聴いた5年前は歌詞なんて理解しようとしなかった。けれどもこのところ、このフレーズが、ノックもせずに思い出したように入ってきた。

他人の詩は他人の詩だった。理解できてしまう日本語には、特に沈んでいる自分には慎重に触れる必要があった。

どうしようもない。どうしようもなさがあった。逃げるようにThe BeatlesThe DoorsThe Smithsを聴いた。英語は理解できないから。そしてクラシックを聴いた。なるべく明るくない曲調の曲を。

どうしようもなさは、「言語化できない」という叫びを内包していると思う。そして、そのためにクラシックやインスト曲があるのだということを今更ながら知った。

 

......。

 

神聖かまってちゃん『バグったのーみそ』を聴き直してみる。『バグったのーみそ』それそのものがそこにある。詞は歌うためのものなのか。