家庭内暴力

主に家庭内暴力の話です。「あいつ」とはぼくの兄弟(弟)のことです。

「きもい」「肌白くね、やば(ひきこもりだから)」っていわれてそれを咎めたら「ああ、めんどいめんどいうるせえ」って。いわれました
あいつは言いたい放題、言った者勝ち。死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。それであいつに「死ね」っていったら、「こいつひでえ」って。
逃げ道すら塞がれる。それが王と奴隷の図式。それは悪しき制度。生きるに値しない世界。死ね死ね死ね死ね死ね死ね。
あいつはわらっている。ぼくは殴りたいのを我慢してメモ。これを書いている。殺したい。殺したいっていうと、「こいつ最低」っていわれるだけ。
ぼくは長年の経験でどうせ無駄だと悟っても、そのまま耐えることによるストレスで内面が毒されていくのを感じて、咎め続けたが、
「おまえは気にしすぎなんだよ」
といわれ、
「きもいっていわれて気にしない奴いないだろ」
と返したら、
「じゃあおれにきもいっていってみろよ、絶対気にしねえから」
ってもう。だめだ。頭おかしい、笑えてくる。やはり何を言っても無駄だ。7000回繰り返してきたことだけどね。一生なおらないだろう。外では絵に描いたようにいい子だが、家ではぼくをサンドバッグにする。そしてあいつには何のペナルティも科されない。
必ずあいつにつけがまわるように。

思えば、
「悲鳴をあげた方が損をする」という地獄より地獄みたいなお約束による被害者を10年くらいやってきた。いつも些細な復讐で怒られてきたから、自分は加害者なんだなと自分をせめた。しかし実際はそうではなかった。相手にそう仕立てあげられていただけだったのだ。それを自分で知ったときはもう遅かったけど。誰も教えてくれないとか流石自殺者量産大国ですねとしか。
些細な復讐は弾圧される。そのとき相手は一番の被害者を演じるから。そして思考停止した大人がその罠に引っかかる。絶対王政の敗者はどう転がっても敗者だから。そういう組織作りがなされているから。やられた側が恥ずかしくなるあの感じ、誰も味わいたくないと思うんだけどなあ。潰しましょう。中学校みたいだなーくだらない。

でもどうやって潰せばよいのか。隔離するっつっても現実的じゃないし。警察に突き出す勇気も無いだろうし。そういえば10年くらいまえ、ぼくはあいつが児童相談所に世話になる話を両親に持ちかけた。母親は半ば同意した。もうそれしかないと思った。しかしその話も風化された。そのときは本気だった。でもいま考えると、現実的じゃないなと主に思う。
父親は「そのときは必ず助ける」といった。しかしそういった事態が実際に起こると、「おまえらの間の話だろ? おまえらで話し合えよ」っていわれた。目の前が真っ白になった。話し合えねえからSOSを出しているのに。絵に描いたような毒親ですね! ぼくは問題児共に八方塞がりにされて、度々家を抜け出した。寒い冬の夜も。程なくして帰ると、問題児共は何事も無かったかのようにテレビを観ていやがるのでした。
それと、「現行犯だからどうにもできない」っていうのも常套句だった。だから、それを利用して親が外出中のときなど「誰も見ていないところ」でやられた。当たりどころが悪かったら死んでいたかもしれないというレベルの暴力を何度も受けた。その舞台は学校にまで及んだ。周りの連中も加担した。ぼくはサンドバッグとして最適な存在だった。
そして「チクったら殺す」って毎回いわれてきた。「おれをキレさせたおまえが悪い」という考えで。チクってもどうにもならねえけどな。心身ともに死んでいった。ぼくはいつしかあいつの足音がするだけで身構えるようになったし、何もなくてもあいつが自分の後ろを通ったら背筋を伸ばし、背中に力を入れ、張り詰めるようになった。
閑話休題
先にいっておきますが、道徳教育は無駄ですので。「暴力を続ける奴とは離れるべきだ、クラス制度を廃止しろ! そして治外法権にするな!」ってのが学校なんですが、家庭内でもこれは通用するだろうか。なかなかむずかしそうですね。。簡単に離れたりできないし、だからこそ必要とされる「治外法権にさせない」も機能しなさそうだし。家庭ってのはそもそも治外法権にさせる何か」が巣食うことを免れないのかもしれないな。恐ろしい世界ですよ本当に。でも、警察とはいかないまでも、暴君が暴力をすることによって不利になるようなシステムを各家庭で構築していくことはできるのではないか。でもそれは必ずしも暴力を完全に封じるのではない。内容による。母親は度々「親の愛情が足りなかった」と嘆いてきた。真偽のほどは定かではないが、なるほど、加害者側もまた被害者なのかもしれない。自分の内面に在る、ある種の不満を解消するために暴力も厭わなかったのかもしれない。だからそのへんの判断も重要だ。完全に擁護の余地の無い暴力にのみ適用するべきだ。とはいっても、よい案が思いつかない。
だからつまり、家庭内暴力の発生を防ぐことは非常に難しいかもしれない。でも、発生したあとに、被害者が納得することはできるかもしれない。斎藤環氏が、「いじめ後遺症で大切なのは被害者の納得」といっていたし、やはりここを目指すことが賢明なのかもしれない。つまりは相手につけがまわればいいってこと。

「もう終わったことだし」っていわれて相手にされないかもだけど。ぼくはそれを通用させない。いままで耐え難いストレスを受け続けてきたし、自分の中に「後遺症」に似たものがあるから。


死んでいいですかね、真っ暗だよこれから先、どうしてくれるの。あともって数年。死ぬことが何よりもの復讐だ、なんてたまにおもうわけだが。
死んだら困るのに死ぬまで追い詰めるなんて愚か極まりないですね。
生きてほしいなら死なない世界にしろや。誰もやらないなら自分がやります、そもそも死ねないし(多分)。